本編3.5(第101章〜第119章より)
 ここからこの作品の後編に突入します。この本編3.5の大まかな内容としては、呪いを移された源造がこの試練を通して強くなっていくという話と、桂子の過去などここまでで説明不足だった部分を補填する話が中心です。特に後者の中で、魔本の性質を説明してくれるエピソードに関しては、この作品の設定を理解する上で役立ちますので、同様に魔本の性質を物語る本編4.5のカッパの話や、その他のこの作品全体の小悪魔とのやりとりとあわせて別ページにまとめました。
本編4 〜大和撫子杯〜 (第120章〜第143章より)
 後編に入ってしばらくのんびりした話が続きましたが、桂子企画の大和撫子杯が始まりここから物語が動き始めます。
新たな敵、柳沢
 この大和撫子杯では、後に岳山の手下となる柳沢が新たな敵として登場します。柳沢も岳山と同じく、徹底的に真の信念を持たないものとして描かれています。柳沢の思考回路を象徴するセリフをいくつか挙げてみましょう。

 「よく見ろよ、あの男のツラを。アレが主役の顔か?」
 「君は主役を張れる人間だ。」
 「いい主役で行けねえなら、悪役で行くって手もあるんだぜ。」
 
てな事を言うのは脇役のする事だ。主役はこう

これらから明らかなように、彼は常に他者に映る自己像(柳沢的に言うと役割)を意識して行動しています。この客観的自己像の追求が彼の行動の指針になっているという意味で、これが柳沢の信念とも言えます。これはめぐたちとは対照的な思考回路です。めぐたちの信念は自分の中にある絶対を出発点としています。一方、柳沢のこの信念は自分の外側にあるもの、しかも他者の心理という移ろいやすいものを出発点としているため、状況によって絶えず変化する非常に不安定なものなのです。これはめぐたちの、つまりこの作品の追求する信念とは正反対なものなのです。

捕らわれるめぐ
 最初の柳沢との対決では完全に勝利しためぐですが、岳山の協力を得て再び立ちはだかる柳沢の狡猾な作戦によって良美の代わりに捕らえらることになってしまいます。もちろん性別上女である自分が捕らえられることが何を意味しているのかは分かっているめぐですが、めぐには前編のラストで決めた信念がありました。

 俺は女ではない。あの朝キッパリ決めたはず。

自らの男としての信念と共に、良美の代わりに自分が犠牲になるという決意を支えものがもう一つありました。それは源造が必ず助けに来るという確信です。めぐがこの決意の直後、源造のことを思い浮かべたのは、その源造への想いにほかなりません。

覚醒する美木の記憶
 めぐが「自分は女ではない」と言って自分の代わりに捕らえられ、危機に陥っているということを良美から知らされた美木は、怒りという一つの感情によってトランス状態、無意識に近い状態になります。一方でその頃、小悪魔は魔本に忍び込んできた鎧武者の亡霊を葬る際にかなりの力を消費していました。この2つの影響で、小悪魔は美木の無意識下の記憶を抑えきれなくなり、美木はついに真の記憶を取り戻します。

 女のコなのに… 女のコなのにバカみたく頑張って… もともと女のコなのに…

この記憶は後に力が回復した小悪魔によって再び封印されますが、ここで美木とやりとりを交わした小林は、めぐが何を願って現在のようになったのかまでは分かってはいないものの、めぐが元々女だったという真実を知ることになります。(小林が真相を知ったところで、めぐと美木の記憶さえ封じておけば、それまでの状態、つまり周囲の人間がめぐを元々女だと思い込んでいるとめぐと美木が思い込まされている状態となんら変わりませんから、小悪魔は小林の記憶の操作まではわざわざしなかったわけです。)

柳沢を圧倒するめぐの信念
 捕らえられためぐでしたが、めぐの強さは柳沢の想像を超えており、手錠をかけられている状態でも大多数の男を圧倒します。しかし、柳沢を本当に驚かせたのはめぐの強さそのものではありません。この状況でも全く弱みを見せないめぐの精神に柳沢は圧倒されているのです。

 強いから…? ああ強い! おかしいほど強い!!
 いや違う! 俺はこのくれーでビビってる。普通はもっと弱みを見せるもんだぜ。
 コイツは女じゃねェ! いや…そういう次元じゃねェ!!

この時のめぐを支えているものは上にも書いたように、男としての信念と源造が助けに来るという確信であり、柳沢はここに圧倒されたわけです。しかし、ここでは撤退した柳沢でしたが、まだ完全に諦めたわけではなく、岳山の手下として最後の戦いに登場することになります。

桂子(と藤木)だけが危機に陥らなかった理由
 この大和撫子杯に参加したのは、めぐ(と源造)、美木(と小林)、良美(と安田)、桂子(と藤木)の4組なのですが、桂子(と藤木)は途中から全く登場せずに危険が訪れることもありませんでした。西森氏が単に桂子を登場させる機会を損ねただけのように一見思えますが、おそらくそうではありません。そのことがうかがえるのは、この話で柳沢を裏で支えた岳山が自分のことを桂子と同じ苗字を用いて「田中一」と名乗っているところです。もちろん桂子と岳山が裏で手を組んでめぐたちを危機に陥れたなどということはありえません。桂子は心の底ではめぐのことを認めているわけで、決して憎いなどとは思っていませんし、何より自分の親友である良美まで危険にさらすことなど考えられないからです。恐らく岳山はこの一件が表沙汰になった場合は、桂子にその罪を着せるつもりだったのでしょう。この大和撫子杯を企画したのは桂子、裏で手を引いていた者の名前は「田中一」と桂子と同じ苗字、そして桂子だけが無傷なら、必然的に警察等から桂子が疑われるようになるわけです。恐らく岳山はそのように仕向けるための偽の証拠も用意しているのでしょう。
本編4の総括
 この本編4のハイライトは、前編ラストで新たにめぐが決意した男として生きるという信念が柳沢を圧倒するところにありますから、ここについてもう少し深く考察してみましょう。最も重要な柳沢のセリフをもう一度引用します。

 コイツは女じゃねェ! いや…そういう次元じゃねェ!!

めぐ自身はあくまで男として生きるという信念に従っているだけなのですが、柳沢に映るめぐは、そういった男とか女とかを超えたものなのです。ここがこの作品の面白いところであり重要なところなのです。小林がかつてめぐに指摘したように実際は男か女かというのはそれほど重要な問題ではないはずなのですが、めぐは「男」にこだわっています。以前書いたように、幼いめぐの「女を守るのは男」という思い込みが小悪魔に利用された結果、現在のめぐも未だにそう思い込んでいるからです。しかし、そのめぐの男としての信念が、結果的には男女を超えたものとして周囲には認識されているわけです。実はこれこそがこの作品が作品構造全体を用いてまで表現しようとしていることなのですが、これについてはエピローグの後にまとめます。

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