エピローグ(第198章〜第199章より)
めぐが女に戻るための条件
 めぐが幼い頃の望みを叶え、かけられた魔法が解ける、つまり真の記憶が戻るまでに達成されなければならないことは以下の3つです。

(1) めぐが美木を守れるような強い男になること
(2) 美木がめぐから守られる必要がなくなること
(3) 無意識下に封印された女のめぐが目覚めること

プロローグでめぐが美木を守るために男になると決心した際に「安心しなよ、本当に美木に必要なくなったらやめるよ。」と言っていたように、めぐが美木を守るという目標を達成し、そして同時に美木がめぐから守られる必要がなくなれば、めぐは男である必要がなくなりますが、かといって別に女に戻る(精神的に女に戻るという意味で)必要もありません。ここまで自分を元々男であると思い込んで生きてきためぐが敢えて女を選ぶ必要はなく、自分が男であるという小悪魔によって作られた偽りの記憶のままで生きていってもよいわけです。したがって、自分が女だったという真の記憶を取り戻すには、上記の(1)(2)、つまり幼いころのめぐの願いを達成するだけでは不十分であり、(3)が達成されることで女としてのめぐが完全覚醒しなければならないのです。

 すでに本編5で(1)と(2)に関しては達成されています。つまり、(1)はめぐが最後の「一歩」を実現し、自らが描く「男」になれたことで、そして(2)は美木が「自己を押し殺す受動的な生き方」をする弱い自分を克服することで、達成されているのです。したがって、残すのは(3)のみですが、実は前編のラストという(1)(2)がまだ達成されていない段階で(3)だけが達成されそうになることがありました。それは、前編のラストで無意識下からわずかに覚醒した女としてのめぐが「キス」に賭けたときです。要するに願いが叶わなくても、(3)によって魔法は解けるようになっていたわけです。結局、当時はめぐも源造もまだ成長途上だったため、「キス」は実現されずにめぐの魔法は解けなかったのですが、あれからお互いにさらなる成長を遂げ当時実現されなかった「キス」がついに実現されることとなります。

キスに秘められためぐの想い
 キスするとね、魔法が解けるんだ。

 上に書いたように、幼い頃のめぐの望みをはここまでで既に達成されました。つまり、めぐは美木を守れるような強い男になることができたわけです。しかし、同時にその過程でめぐは、共に行動してきた源造に「男の中の男」を認め、無意識下に封印された女としてのめぐがその源造に惹かれていました。そして、めぐ自身も自分のその想いに気付き、自分が源造を好きだということを認めているわけです。しかし、前編ラストと同様にめぐはこの時点ではまだ自分が魔法によって女にされたと思い込まされており、魔法が解ければ自分が男に戻ってしまうと思い込んでいます。したがって、キスすることで魔法が解けることは本能的にはわかっているのですが、それはすなわち自分が男に戻ってしまうことだと思っているわけです。つまり、めぐは自分の想いと源造の想いのいずれも男女の形としては報われることはないと分かっているわけです。

 一方で、源造自身はそんなことは露知らず、幼い頃と同じくめぐに敗北感を感じていました。

 「めぐの勝ち、男勝負は。ブッチギリでめぐの勝ちだ。」

めぐは源造に「男の中の男」を認めおり、完全に源造のことが好きなのですが、肝心の源造はそのことに全く気付いていないわけです。そんな源造を見てめぐは自分の想いを伝えることを決意します。男に戻って自分の想いが報われないかもしれないとわかっていても、女としてのめぐがその想いを伝えたかったわけです。前編ラストでの

 「男に戻ったって大丈夫だ、めぐ。」
 「俺はオマエを守る。俺は絶対オマエが好きだ。」

源造の言葉を、今度こそ信じようとしたわけです。そして、当時は賭けとして受動的に源造のキスを待ったのですが、源造を「男の中の男」として信じている現在のめぐは自分からキスを選びます。このキスには、自分の源造への想いが女として報われなくてもかまわないという決意と女として源造の気持ちに応えられないことになることをわかっていることに対する申し訳なさの2つを込められているのです。


 「俺は、オマエが好きだよ」


 もういい…



 悪いナ ゲンゾ――



蘇る記憶
 ついに、小悪魔にかけられた魔法は解かれ、めぐと美木は本当の記憶(つまりプロローグ)を思い出します。記憶を取り戻しためぐは「女を助けるのは男」と思い込んでいた幼い自分に

 「……… ウーン まいりました」

 「だいぶアホな子だったよーです。」

と思わず苦笑してしまいます。今になって冷静に考えれば、別に美木を守るためだからといって男になる必要はありませんし、女のまま強くなって美木を守ってもよかったわけです。そして、幼い自分が発した言葉でめぐを傷つけたと勘違いし、かつてそのことを謝罪した源造に対して、そのやり取りを思い出しためぐは言います。

 「そんな事気にしちゃいないって言っただろ?」

「叶ったよ。」

 望みは…

 オマエの望みは叶ったか?

 小悪魔は「男にしてくれ」という幼いめぐの願い、その願いを発せさせた「自分が強くなって美木を守りたい」という純粋な想いを叶えるために、幼いめぐの「女を守るのは男」という思い込みを利用して、めぐを男そのものにするのではなく、男と思い込ませることで、その望みを叶えさせてあげようとしたのでした。そんな自分の望みを叶えてようとしてくれた小悪魔にめぐは感謝し、その全ての想いをこの言葉に込めます。



 叶ったよ。


 

作品全体総括
作品のメインテーマ
 各本編のところでも触れたことですが、もう一度この作品のテーマ性についてまとめてみましょう。この作品に一貫して流れる主張は以下の2つでした。

重要なのは、信念が正しいかどうかではなく、
 その信念に貫き通せる強さがあるかどうかである。

信念を貫こうとする強さは、
 どれだけその信念がその人にとって絶対に近づいているかに依存する。

これは次のようにも言い換えることが出来ます。

 信念は一般的な価値観(周囲にとってそれが正しいか間違っているか)とは関係なく
 あくまでその人にとってそれが真実であるかどうかに依拠している。
 そして、「その人にとってそれが真実である」の究極形が「絶対」である。

 ここまで見てきた作品のマクロ的流れとしては、各登場人物はこの考えを体現すべく苦闘してきたわけです。そして、ミクロ的に突き詰めたものである登場人物の思考回路も、この考えに基づいていることについてもこれまで見てきました。実際にこの考えは作品中にしばしば見受けられます。例えば、めぐは初めて小林と出会ったときにこっそりと小林を助けるのですが、小林にそのことを聞かれても「知らん。」と嘘を貫き通しました。同様に、源造も小悪魔によって呪いがめぐから移されたとき、自分が呪いに移されたことを徹底的に隠し通そうとしました。これはまさに上述した考えが現れていると言えるでしょう。

作品全体の構造
 このように、マクロ的にもミクロ的にもこの作品の主張は一貫しているのですが、さらに驚くべきことがあります。それを語る前にまずこの作品の最も基本となっている構造を思い出しましょう。この作品の全ての出発点は、幼いめぐの「女を守るのは男」という思い込みでした。これは一般的に考えれば、単なる幼いめぐの勘違い、つまり偽りにあたります。また、幼いめぐの願いを叶えるべく小悪魔が採った方法は、めぐに自分が元々男だと思い込ませることでした。この思い込みも周囲にとっては単なる偽りでしかありません。しかし、ここで注意すべきことは、あくまでそれは周囲にとって「偽り」であるだけで、めぐにとってはそれが「真実」であるということです。だからこそめぐは、それを信念として実現しようと物語を通して最後まで苦闘したわけです。

 これを見て気付きませんか。そう、なんとこの作品全体の構造が実は上述したこの作品の主張でもあるのです。つまり、この作品は、「信念とは何か」というテーマに対し、各登場人物を通してその答えを追求し、彼らの生き様によって上述した考え方を呈示すると同時に、実はこの「偽り」を「真実」として実現するという作品全体構造によってもその最終結論を表現しているのです。作品全体構造という究極のマクロから登場人物の思考回路という究極のミクロまでこの作品の主張はまさに徹底されていたわけです。

幻想と絶対
 さて、最後に「絶対」の究極例である、源造がめぐと美木の両方を助けた話を思い出しましょう。私は連載中にこのエピソードを見たときは、「いくらなんでもそりゃ無茶でしょ、漫画だからってやりすぎじゃないのかなぁ」と正直思ってしまいました。でも、それはこの作品のテーマを全く分かっていなかったってことなんですよね。「そんなことができるわけがない」というのは、最初からできないことを前提にして考えているわけです。その前提では「できない」のは当たり前です。でも、その「できない」という考えも実は既成概念に依存した幻想でしかないわけです。

 空を飛ぶのが不可能という考えが当たり前の時代の「そんなことができるわけない」という当時の真実も、今になって考えてみると実は単なる幻想でしかなかったことを考えてみましょう。似たような例はいくらもであるでしょう。真実が幻想へと引き戻されたのは、ある人がそういった一般的な真偽という幻想に縛られずに、「できる」という自分の中の真実、つまり絶対の信念にしたがって生きたからです。一般的な価値観という幻想に縛られずに、自分の中の絶対という唯一の真実に従う生き方こそが信念のあるべき姿である、これこそがこの作品の主張でしたから、源造のこの行動はまさにそれを体現していたと言えるのです。

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