<8/13>
日記で西森作品に触れたのこちらにも一応転載。
単行本未読状態での書き殴りなので
突っ込みどころ満載でもスルーしてね^^;

バックステージによるとお茶は予定通りの終わり方だったとか。
先生は道士郎のときにも似たようなことをおっしゃっていて
確かに実際に道士郎を単行本で読み直すと
筋は通っていて打ち切り感が薄かったので
お茶もそうなるのに期待しているのだけど、
連載をさら〜っと読んでた感じだとなんというか納得いかんというか。

確かに優しさ、もっと言えば人間らしい感情をまークンが獲得するというのが
この作品の最終着地点であったのはほぼ間違いないところであり
一応そこには着地させているのだけど、
(ラストで部長に会うことに不安という未知の感情を感じるところなんか象徴的)
そこに至る過程が唐突感が否めないというか。
てんこなで言うと「一歩」のような臨界点を越える瞬間の説得力がなかった。
そしてこの「一歩」を描くために必要な
他のキャラクターの成長エピソードがお茶ではまだ弱かった。
多分夏帆の描写が連載で読んでた限りだと足りてないように感じられたから
最後の夏帆の一押しが「?」とすっきりしない感じが残るんじゃないのかなぁ。

あとラストで夏帆の絵の印象が唐突に変わった気がしたのは気のせいなのかなぁ。
部長っぽく描いてるように見えたのだけど。
やっぱり単行本で読み直さんとあかんなぁ。
まぁてんこなも連載終了段階では評価保留で
単行本読み直して名作ということに気づいたわけだし。

※追記整理
とりあえずあやふやな記憶をもとに作品の流れを整理すると

初期まークン
守る対象なし(唯一の仲間山田も高い戦闘能力)
悪魔の自覚なし・自己完結

中期まークン
部長という守りたい他者が現れる
その他者の存在を介して自分が客観的に悪魔であることを初めて認める
悪魔である自分のそばに部長がいては危険ということで部長から離れる決断
この決断が「男の中の男」の考える優しさ
(この辺りはてんこなのラスト付近の源造と重なる)
↓(飛躍を感じてしまった部分)
最終まークン
夏帆というまークンにとって部長とは違った意味で特別な存在から許される
これはつまり自分が悪魔でなく人間であることを宣言されたに等しく
部長のそばにいてもOKと判断→部長のもとへレッツゴー

もっと究極的に殺ぎ落とすと
自覚なし悪魔→自覚あり悪魔→人間
というイメージ。

あと、普通に読んでて気持ち悪く感じる部分は
夏帆の一言→まークンの自己肯定が分かりにくいから
いや部長のそばにいたらまた危険な目にあわすかもしれんやん
その問題はどうなったの?となるところじゃないだろうか。
(少なくとも自分はここが最初に引っかかった。)
しかし、そもそも部長のそばにいることをやめたのは
自分が悪魔であると判断したことが前提にあるわけであり、
部長のそばに向かったということは
すなわちこの前提が崩れた(=まークンが自己肯定した)ことにほかならない。

単行本読み直したら修正しまくるかもしらんけど
現段階での記憶を元に整理すると
自分のお茶像の基本軸はこんな感じか。
中期→最終まークンの飛躍を埋める鍵はやっぱり夏帆か・・・。

※さらに追記
改めて考えてみると夏帆はずーっとまークンを肯定しようとしてきたのだけど、
自らの性格ゆえにそれがずーっとできなかったわけで、
最後のまークンへの一言はずーっと言えなかった言葉、
つまりここが夏帆の最終到着地点だったわけか。
うーん、一応作品としてまとまってると言えばまとまってるような気もしてきた。
それでもなおすっきりしない感じが残るのは
この最後をもう少し丁寧に描いてほしかったからなのかなぁ。
多分最初から最終着地点はある程度決まってたから
とりあえず着地点はキレイに整備されていたのだけど、
強引に着陸したように見えてしまって
もう少し尺があればスムーズに着地できたんとちゃうと
感じてしまったと言えばいいのか。
まぁしかし考えてみればてんこなも着地は強引だったか^^;

とりあえず単行本全巻購入待ち。

<10/19>
※全巻購入後
<1週目感想>
まず全体把握ということで細かいところのチェックは2週目以降の予定(いつになるんだw)。
あれ、あんまり打ち切りを感じなかったぞ^^;
いや、まぁどこで終わるのかを分かってて読んでるからだろうけど。
ただ、どちらかというと僕の得意な論理的で緻密な構成の作品というよりは
小説みたいに行間が多い作品。

とりあえず、連載段階で読んだ瞬間に違和感を覚えた
最後の夏帆の台詞、優しさ=自分を優先すべき
みたい露骨なまでのメッセージは果たして作品テーマの核なのかどうか。
西森先生がこんな露骨にメッセージを発するわけないので
これ自体が優しさに対する回答ということはさすがにないはず。

なるほど、確かに部長が幼い頃に自分の想いに正直になることで
優しさに到達したというエピソードがあるものの、
このような性善説を前提に必要とするような
利他主義を真っ向から否定するような思想は
あまりに過激すぎるし^^;

以前も書いたように
この作品は偽物が本物になるというのが重要なところと僕は踏んでるので、
(悪役キャラの変化がこの作品テーマをある意味象徴してるんじゃないかと)
まークンが模倣しようとした優しさという表層的な行動(偽物)に
最終的に中身(本物)を与えたのが夏帆の台詞と現時点で僕は読んでいる。

偽物が本物になるというのは
必ずしも無から有が形成されるわけではなくて、
人の中に本質的に優しさの欠片みたいなものがあるということにほかならない。
その可能性を模索したのがこの作品なんじゃないだろうか。

なんだ、このありきたりっぽい結論はw
ただ、この方向性で読むと
作品全体がきれいにまとまっているような印象。
この方向性を意識しつつ2週目でもっと詰めたい。

<11/7>
<2週目の前に現時点で考えてることを忘れないように書き殴り>
忙しくて2週目に入れるのはずいぶん先になりそうなので
思いついたネタを忘れないようにストックしておく。
(てんこなの時もそうだったけど、
仮説→矛盾探しを地道にひたすら繰り返すのが僕の考察方法^^;)

まークンの優しさへの出発点は親父への対抗心
まークンにとっての優しさの原点はじじい
まークンの最終到達点は他者のことを想像できるようになったこと(全ての人間の持つ優しさの芽?)
部長とのギャップとその解消(見ているものの違い→実は同じ感覚も持っていた)
柄杓エピソードは問題提起から回答までつながっていてテーマ的にも核となっていそう。
てんこなの白眉シナリオ(めぐの最終到達地点)のタイトル『一歩』を
使用したエピソードはやはり重要そう。
夏帆はここでも誰よりも早い一撃。
ラストといい越えられない何かを突き破る契機になる意味では
源造に近い役割を果たしているキャラクターじゃないか。
初期ブルーは自分が他者より優れた存在という思い込みからの余裕があるだけ。

まークンが部長を遠ざけるのは他者のことを想像できないまークンの優しさの限界。
部長の気持ちまでは想像できておらず自己完結した優しさでしかない。
部長の行動を想像する雪のシーンはある種の臨界点突破で非常に重要。

まークンの優しさに影響を与えた人間(親父、じじい、夏帆など)の言葉を
まークンは文字通り受け取っていって
本人もよく分からぬまま最終地点(部長を想像して不安を感じる)にたどり着くのだが、
じじいらの台詞はまークンを思っての台詞なのは当然として
そうなるともしかして親父も実はいいやつなんじゃないのか。
自分の息子であるまークンの性格を瞬時に見抜いて
反骨心をあおるような台詞を敢えて選んだとか。
考えてみたら本当に悪人なら最低限の面倒すらしないよな。
僕の読みどおり全ての人間の優しさの可能性が作品テーマであれば
むしろあれがあの親父なりの優しさだったと解釈すべきかも。
とは言え彼の本性は作品内で裏づけするのは不可能なのでここは憶測止まりだけど。

<11/11>
・強さの多様性
これまで西森先生は強さの多様性を(普通の人の強さとか)描いてきた。
それを踏まえた見方の可能性について。
まークンは物理的に強すぎて不安と格闘する必要がなかった。
確かにある意味では絶対的な強さなんだけど、
何か大事なものがそこに欠落してないか?
それを見事に部長の強さとの対比で描いている(肝試しエピソードが顕著)。
まークンは不安なんて感情が元々ない絶対的に純粋な強さ。
部長は不安と葛藤しながらも行動する強さ(勇気)。
確かにどっちも強いという概念の一部なんだけど、
弱さを知った上での強さとそれを知らない強さとでは
どちらが他者に対して優しくなれるかは明確だろう。
この辺りはてんこな的に言えばまークンはどう見ても絶対の域に到達しているんだけど、
そこに至る過程をぶっ飛ばした不安定さを内包しているといった感じ。
ある意味絶対的信念の危険性の可能性をまークンが見せたと言えるかも。
考えてみれば道士郎も似たような感じ。
(三橋伊藤源造とかはそこに至る葛藤を知っている。)
まークンの最終到達地点が不安という感情だったというのは
それを常に克服しようとしていた部長の強さが
作品として強調されたとも言えるんじゃないだろうか。

<11/13>
・ブルー「その優しさは無駄じゃない」
まずは上から目線の優しさの否定。
最初のブルーは自分が他者より優れた存在であるという余裕による
ある意味では自分に対する優しさだったんだろうな。
だから本質的にはちっとも優しくないんだよね。
それが途中から勘違いが原因ながらも
まークン(他者)のためにがんばったというのが彼の変化なんだろう。
まぁほとんどその行動は無駄に終わるんだけど、
でも実はこの「無駄」というのもブルーに割り当てられたキーワードなんだろうなぁ。

無駄はいらないがポリシーだった

にもかかわらず作中は今井キャラに成り下がり無駄の繰り返しw

でもその無駄な行動が周囲から評価され感謝の言葉をもらう

誰かを想っての行動は決して無駄じゃない。
それがブルーの実現した優しさなんだろう。